周りの人が「あなたにはできない」という理由は、あなたに出来ないからではなく、彼らに出来ないから

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何か人生で、大きな夢を抱いたり、現時点でちょっと可能性は低そうでもやってみたいな、と思ったりした時。

それを、誰かに伝えたくなる時はありますよね。

 

「実はさ、、」と、誰かに打ち明けたくなりますよね。

それを「すごいじゃん!いいじゃん」と肯定してもらえる時、褒めてもらえる時、認めてもらえる時もあれば、辛くも否定されるときもあります。

たぶん、誰しも自分が抱いた夢や可能性に対して否定されたことはあるのではないでしょうか。

 

否定されるともちろんうれしい気にはならないですね。

 

あんまり否定されたのが気にならない時もあれば、悲しくなったり、恥ずかしくなったりして「あんなこと、言わなきゃよかった」と思ったり、「そうだよね、どうせできないよね、こんな夢抱くなんてどうかしてる」と、他人の評価を真に受けて自分の夢へ向かうことに対して消極的になってしまったりする時もあるかと思います。

ひどいときには、人から言われて、もともと人に言うまで抱いていた

夢への気持ちが半減したりもしますね。

 

人から何を言われようと気にならないのであれば、それはそれでいいと思います。大いにすばらしいことだと思います。

でも、気にしてしまうのであれば、それで嫌な思いをしてしまうのであれば、

 

人から否定される可能性が高そうなそれほどビッグな夢は言わないほうがいいのかもしれません。

 

よく、描いた夢や目標は人に言ったほうがいいとは言われますが、、

あくまで、人からの評価をどうしても気にしてしまって嫌な気持ちになるなら、という話ですけどね。

 

叶えたい夢があるのなら、

 

自分が「周りはみんなできるわけないとか否定的なことばっかり言ってくるけど、

自分は何が何でも叶えるんだ!絶対やってやるんだ!」という想いを抱いていれば、

そういう気持ちで臨めば、いいのです。

 

そもそも、人が否定したから叶わないとかそんなことはないのです。

ただ、自分も否定していたら、それは叶わなくても無理のない話かもしれません。

 

自分でさえも否定していたのに叶うことはもちろんあります。結構あったりします。

けど、自分の望むものであれば、せめて自分くらいはその夢を信じてあげていたっていいと思います。

信じてあげていたほうが、その夢というか、希望が、信じてあげることによってこの世に存在たらしめるからです。誰も望んでいないものに希望は生まれません。

 

もちろん、期待外れになったり、夢がかなわなかったりしたら嫌だから、

つらい、みじめで悔しい思いをするから、そんなことが起こってはたまらないから、夢なんて何も抱きたくない。というのも痛いほど理解できます。本当にそうです。期待なんかしないほうが「期待外れ」という現象も起きません。

 

でも親や社会、周りの友人知人たちから否定されたり笑われたりして自信を無くし、夢を抱いて生きていくことをいつしかしなくなっていった人たちはきっとそこそこの数でいることでしょう。

 

どうして、周りはあなたの抱いた純粋なその夢を否定したり笑ったりしてまともに受け入れてくれないのでしょうか。どうしてその夢が将来成立しようとするのを認めてくれないのでしょうか。

 

それは、あなたが悪いとかそんなことではありません。

その夢自体は、もちろん夢の内容にもよりますが、社会一般的な倫理を脅かすようなものでなければ、抱いてはいけない、なんてことはないはずです。その人のワクワクする気持ちに沿って生まれたものが、夢なのです。

 

「あなたにはできない」「そんなことできるわけないでしょ」と言う人々は、どんな心理でそのようなことを言っているのでしょうか。そもそもどうしてわざわざ他人の描く夢を否定する必要があるのでしょうか。

 

だって、考えてもみてください。

 

例えば家計をともにしている家族の誰かが

何かワクワクするけれどリスキーな夢を抱いていたとします。それが金銭面でリスクを伴うのであれば、確かにその家族にも悪影響が及ぶ可能性があります。

そういう状況ならまだわかりますが、ですがたいていは、

特にこれといった悪影響が自分たちに及ぶ可能性の少ないパターンを人々は否定するのです。

 

逆に、例えば金銭的なリスク、という風にリスクやリスクの全貌が具体的になっているときは、その穴埋めや対策も具体的にどうしたらよいのかがわかるので、意外とさほど問題とならないのです。そして家族だとか何か同じ集団にでも属していなければ基本的にリスクなんて自分に降りかかることはないのです。

普通の友人知人が何か夢を抱いているのを肯定し、応援したところで、自分に何か被害が降りかかるだなんてことは、借金の保証人にでもならなければないのです。

 

ではなぜ、その夢を語る人物が、仮にその夢をかなえる過程や結果で失敗したり損害を被ったりすることになるとしても、特に被害も何も受けない人たちが否定するのでしょうか。

 

 

リスクが生じたときの、その人の家族を心配して?

その人が、友達だからこそ、恋人だからこそ、心配して?

その人が、失敗した時のリスクを考えて?

 

では、今のその人の状態に「リスク」のような、ネックになっている部分はないということになるのでしょうか?

具体的に問題となっていることやネックになっていることは全くなく、ただ純粋な発展だけを願って新しいことをしたがる人もいれば、何かを解決するために、その、周りから否定される何かを始めようとしている人もいます。

 

いずれにせよ、夢として抱いているのだから、その人にとってプラスになることなのではないでしょうか。それを、あきらめさせて現状のままでいさせようとするのは、何かプラスになることなのでしょうか。

そもそも、「何か新しいことをやること」は、「悪い道に進むこと」なのでしょうか。

 

それではなぜ、その今までのルーティンのような生活を「悪い道ではない」と捉えることができるのでしょうか。はっきり言えばそれは思い込みですし、

他人がそう思い込んで決めつけるものでもありません。

そりゃ今立っているところは「悪い道」ではないかもしれませんが、

その人にとって、

「もっといい道」はいくらでもあるのです。

その、ほかの道を歩もうとするのもその人の自由です。もっと上のもの、快適なもの、魅力的なものを求めていいのです。

現状に満足しましょうだとか高望みするなだとか、人に言われる筋合いもありませんし、やはり向上心のある人のほうが多く、

そして質の良いものを手に入れられます。

 

はたまた、当人が恋人や友人など、親しい存在であるのに、

何かレベルアップでもするかのような輝かしいことを始めることによって自分より1個とびぬけるのが、

秀でるのが嫌なのでしょうか?

悔しいのでしょうか?

「ずるい」と感じて羨んだり妬んだりしてしまうからなのでしょうか?

「とびぬけさせては、抜け駆けさせてはいけない」

という意味での仲間意識が働くのでしょうか?「みんな一緒よね、せいぜい普通の一般人にはそんなことできないんだから、みんなそういうもんよね」という

仲間意識のもとで人間関係をつなぎとめて、構築させておきたいからそういった目立つ行動を否定する動きに出るのでしょうか?

 

そういう素直な気持ちはあっていいと思います。

「こいつだけずるい」「なんか嫌だ、気に食わない」「ムカつく」と思っていても、その根本にあるのは純粋な羨望のまなざしです。それに自分のマイナスなものが相絡んでそういった悪意のある気持ちへと姿を変えているだけなのです。

 

 

では、そのマイナスなものとは何なのでしょうか?

それは、「自分にはそういったことができない」という気持ちです。

 

 

 

「いいな、すごい、私もそういうことやってみたいな」と、

無意識のうちに本当は純粋な気持ちを抱いているのですが、

それとほぼ同時に

「でも自分の場合、できないでしょ」

というそれを打ち消す気持ちも生まれているから、

誰かが、その自分が当初思った

「いいな、すごい、私もそういうことやってみたいな」

という夢を、純粋な気持ちで語るのが許せなくなるのです。

 

現実問題等を考えずにヘラヘラと、

まるで浮世離れでもしたかのような至極魅力的な夢を、

まるでいとも簡単に実現させるかのごとく語っているように感じて、「何バカなことを」「現実も考慮しないで」と、ムカつきを覚えるのです。

 

 

 

そう、周りの人が「あなたにはできない」と、あなたを否定するとき、できないのはあなたではなく、言ってるその人なのです。

 

 

 

自分に制限をかけているほうが楽なのです。

それは、大体の人がわかると思いますが、

決まりきった今までの毎日をルーティンとしてこれからも過ごせばいいだけなので、新たなことをやるにあたっての負荷というものが少ないからです。

 

エネルギーというものがそんなに要らないからです。

 

何か新しいことを始めるときって、準備万端に始めた時でさえ、やっぱり今までやってこなかったことなので疲れますし、現実的には時間やお金もかかったりします。

 

本当にあなたに出来ないのではなく、

 

「自分たちに出来ない(と思い込んでいる)から、あなたにもできないはずだ、

 

あなただけできるだなんて、そんなことありえない、

 

許せない、

あってはならない」

と考え、当人のことも自分たちのように思い込みの「できない」人間のグループに連れ戻そうとしているのです。

 

その図は、例えると、(イメージですし、状況が完全に違いますが)心霊番組でよくある、海から手を伸ばして人間を海に引きずり込もうとする亡霊の心霊写真のようです。

そういう位置に他人を落ち着けたいのです。

 

どうして、「やってみたい、かなえてみたい」と思うことがあるのに、それを自分ではやろうとしないのか―

本当にそれが実現不可能だ、ということはあんまりないと思います。

 

その夢にたどり着くまでに時間やお金、工程がかかっても、その夢が抱けた時点で、その可能性自体はこの地球上に存在するからです。

それをもう成し遂げている人がいるかもしれませんし、成し遂げている人がいるから自分もやりたい、と夢を抱くのかもしれません。

 

いずれにせよ、イメージできたということは、その夢自体を達成することに時間や労力、金銭、努力等を要するものであっても、例えば

「時間がかかるだけ」「工程がいろいろあるだけ」であって、それ自体が「絶対に不可能なこと」ではないのです。

 

「不可能」だと決めつけるのは、「そこまでやる精神力がないから」なだけです。

(※ちなみに、この言葉は『そこまでやれ』という意味でもありません)

 

 

少なくとも、その、否定したいことをこれからしようとしている人間がいる時点で、その否定をする人だって

それを達成することができる、可能性がある、ということなのです。

やりたい、と思った時点で可能性自体は存在するのです。

ただ、それの可能性の数値が何パーセントなのかで人々は

「できる」「できない」の判断を下し、

「できること」「できないこと」と、振り分けているだけなのです。

 

 

そして、本当は誰かその自分たちとそれまで同等であった仲間が一歩秀でるのが許せないから、でもその「悔しい、うらやましい、ずるい」という声を素直にそのまま出すとなんだか自分が子供じみてるように感じられるから、その新しいことをやろうとしている人に対して、その人の夢ややろうとしていることを「してはいけないこと」「これからあなたはしてはいけないことをしようとしている」「抱いてはいけない夢を抱いている」と咎め、阻止しようとするのです。

 

それは、その夢を抱く当人が、人から責められるもととなる瑕疵のようなものを持っているかのように仕立て上げることで、「そいつが悪い」みたいに言ってしまえば、否定をする自分たちが逆に肯定されるからです。自分たちの言動が正当化され、認められ、そしてこれまでの自分たちや当人の生き方が「これで充分、これが正解」と認められたように錯覚するからです。確かに、その人たちや当人のそれまでの生き方もなかなか良いものなのでしょう。だから生きてこれたのです。夢を描くまでのことができたのです。

 

けれども、誰であったって、発展して生きていっていいのです。良いものを、よりよいものへと変容させていっていいのです。それは、抜け駆けでもずるいことでもありません。描くから、可能性というものが与えられるのです。だから、あなたも描けばいいのです。描いたっていいのです、夢ぐらい。何も自分を、決まりきった日常に落ち着ける必要はありません。

 

すべての人がそれまでの生活を変える必要など、もちろんありません。

けれども、人が夢を語るその姿を真っ向から否定したくなったあなたは自分を押さえつけている可能性があります。「自分にはできない」と思っていることを他人が夢見て実行しようとしているからムカつくのです。

 

そして、言ってしまえば、人の夢見ていることを否定するなんて、その否定された当人が幸せになるわけでもないですし、良いことが起こるわけでもないので正しいことではないはずです。リスキーなことをしようとしていて、それが本当に心配でやめさせたいなら、ただ否定するのではなく、賢い人なら、ほかの道くらい軽くでも提案できるはずです。否定することなんて幼稚園児にだってできます。「NO」と言ってしまえば根拠がなくてもほかの案もなくてもすべて一蹴できてしまうからです。けれどもそれはいたって無責任です。否定しかできない人間は所詮その程度の人間で、かかわっていても特に良いものをもたらしてくれるわけでもなく、言ってしまえば無益です。しかも他人の夢を摘み取る癖もあります。

 

では、純粋な心配だったらどうすればいいのでしょうか?

 

そりゃ誰かを心配したことのない人はいません。優しいからあなたは誰かのことを想い、心配してあげることができるのです。

けど、実際される側としては、その「心配」というのはそんなに役に立ちません。

逆に、「心配してほしい」と思うときは、抱いている夢ややろうとしていることよりも、人からの興味や関心などに気持ちが傾いているのではないでしょうか。夢どうこうよりも、人から注目されたかったり、人からの関心が欲しかったりするのではないでしょうか。

 

「応援」だったら、物質的、精神的な支えになったり背中押しになったりします。そうやってその夢を描くことが促進されるのです。

けれど、「心配」は、それを阻害するものなのです。芽を摘むものなのです。

 

人が何かをやろうとしていて、夢を持っていて、それに「できるわけないでしょ」と言いたくなる人は、その人自身が、自分も同じくらいの熱意でやりたいとを思い描いては、「それができる理由、条件、根拠、自信」などではなく「それができない理由」を探して、かき集めて固めて堂々と人に見せつけているだけです。「これでどうだ、わかったか?最初からできるわけないんだよ」と、いわば「できない証拠」を傑作作品のように見せつけているのです。なんとむなしいことをしているのか、お分かりになりますでしょうか。そんなことに使っている人生の時間がもったいないですね。ちょっとくだらなくもありませんか。駄作と自分が決めつけているテキトーな作品の作成に時間をかけているようなものです。たった少しの時間でも、どうせなら、「できる根拠」を見つけること、立証することに使ったほうが有益です。

人生は、楽しいことに使ってなんぼです。満足できること、幸せを感じられることに使うことが人生の意義です。そうして、楽しい時間が増えれば、そういう経験を積み重ねていけば、「楽しいことが多かった人生」になるのです。ずっと苦しく生きていて、突然楽しさがなんの関連もなく訪れることはありません。

 

まとめると、人の夢を否定したり笑ったりしている人は、そんなことをしている暇はないのです。永遠の肉体が与えられているわけではないのに、そんなことに人生の時間を使っている場合ではないのです。

 

周りの誰かが何か夢を持ち、それをかなえようとしているのであれば、それを応援してあげたり、支えてあげたりしてもよいですし、なんだか気に食わなくて、「ムカつく」という気持ちになるのであれば、その気持ちの奥底には純粋な「うらやましい(本当は自分もそういうことがしたい)」という気持ちが潜んでいるので、そのムカつきを意識のきっかけにして、「自分も今までやってみたかったことをこれから検討してみてもいいかな?」と前に踏み出したり、「アイツは自分の夢を語ることで、俺のことも実は背中を押してくれているんだ」と捉えてみてはどうでしょうか?いずれにせよ、人を笑ったり人の夢を否定したりしているだけの時間は無駄です。そんなことしている場合ではなく、あなたはあなたの夢、あなたの願望にフォーカスして日々の生活を送っていればいいのです。その点については、自分のことだけ考えていればいいのです。人の夢をつぶしたところで自分の発展にも何にもつながりません。

 

自分の家族だとか、友人、恋人が本気で心配な人も、先々の相手の人生ばっかり考えているよりも、もうちょっと自分の人生のほうを考えてみましょう。そもそもあなただってまだ生きているのですから。笑

もっと自分の人生にもフォーカスしてみましょう。

 

可能性が低くても、可能性は可能性です。

逆に、可能性が高くても、可能性は可能性で、

たとえその確率が99%であっても必ず起こるわけでは、必ず当たり前のように未来で待っていてくれるわけではないのです。

可能性、確率というのはすべて机上の理論の上に成り立っている世界観です。その数値は、その理論に基づいた数式によって単純にはじき出されただけのもので、100%でない限り、必然や絶対という概念を持ち併せてはおりません。

反対の意味を持つ言葉の組み合わせとして「理論と実践」という言葉がありますが、

数値は、この実世界、現実世界で起こる物事とはまた別の次元に存在するものなのです。

 

実際は、どうなるか―。

といったことは、未来の話だから、本当のところ、誰にも分からないし、そもそも何が起こるか知ったことではないのです。予測はあくまで予測ですし、その数値はあくまで算出された数値です。

 

 

 

人は、誰かから心配されても強くなったり、夢をかなえられたりできるわけではないのです。

逆に、人は、誰かからの、嘘偽りのない本心からのとてつもなく大きい支えを感じると、どこまでも強くなれるのです。こんな能力があったのか?と驚嘆するほど、無限の強さや能力を発揮できる生き物なのです。

人は、そうやって愛情を受けて、その当たり前の愛に恵まれた環境で育って、身も心も大きく発展させることができる生き物なのです。

 

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